生まれた場所も 生まれた時も 全く関係なく
赤ん坊として生まれた瞬間は 人類皆平等
人として生を授かり 人としてこの世に飛び立つ
新たな生命が誕生したと言う観点では
平等なのだろう
ただ 決して 生まれた時から 全てが平等な訳では無い
かと言って それが足枷になる訳でも無く
人はリードを持って生まれようが
ビハインドを持って生まれようが
追い越されることもあれば 追い越すことも出来る
平等とは そういう事だ
政治家や権力者の子として生まれれば
法ですら 50/50では無い
経済面でも社会的地位も 導いた答えが同等であっても
平等には扱われない
仮にその子が望まなくてもだ
それが この国の掲げる民主主義で
国民 みんなの意見を出し合って決めるのが
民主主義だと伝えられ 信じ その意見を票に変えた
ただ 民主主義の前に資本主義のこの国では
意見を通すにはロビー活動が必要不可欠
それをするには 金が必要
持たざるものには 意見を言う資格は与えられない
平等を求める意見は多数ある
それでも それを行うには 金や地位が必要
最初から傾いている天秤に 自ら努力し
重りとなり重ねて行き 同じ高さになった時
初めて 意見を述べられるようになる
それを 踏まえて
生まれた場所も 生まれた時も 全く関係なく
赤ん坊として生まれた瞬間は 人類皆平等
たかだか 天秤が傾いてるだけ
最初から権力や 金や地位の 重りが乗ってるだけ
勝ちたければ 自分も載せればいい
死に物狂いで努力して 同じだけの重りを載せればいい
その努力もしないで 意見が通ると 平等だと
思う事だけは 辞めておきなさい
見えない的に遠吠え吹いても 無意味だから
自分一人では とても同等の重りを載せる事が出来ないなら
人を頼ればいい 人にお願いすればいい
ただし 当然 十人十色 意見の相違はあるのが普通
だから 親身になって話を聞いて 考え
意見を言い合い 双方合致するまで話し合い
その輪をどんどん増やして 重りが同等になった時に
背負ってきたすべての意見を述べればいい
途中で意見が折り合わず 離れていく者もいるだろう
何十年かかっても 重りは同等にならないかもしれない
重さが同等になり 意見を述べても 何も変わらないかもしれない
全ての努力が 何十年もの蓄積が 何百人もの意見が
全て 一瞬で無駄になるかもしれない
だけど
その時 初めて 民主主義なんじゃない
初めて 平等を感じられるかもしれない
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