いつからだろう
人が この世の人々が 情報を貴重だと思ったのは
私が生まれ育った 日本の昭和の時代
テレビはカラーに放送され
ラジオや新聞や雑誌などから
様々な情報を入手するようになった
流行りの音楽やアイドルを見る事
流行の洋服や車
夢の海外旅行を現実化し
世界に日本人が飛び立ち始めた
数年後には コンピューターと言う
強大な演算をこなす機械が出て来て
世の中は一変する
幼少期 知りたい情報は
自らの足で 図書館に通い
本を手に取り 辞書で調べ
足りない部分を 専門書で補い
要点を頭の中で要約し 自ら理解できるよう考えた
知らない言葉も 漢字も 辞書で調べ
本に載っていない事は 想像する事で補っていた
それ以前の 今の自分に記憶の無い時代
情報は調べる場所も無く
新聞に書かれた言葉は操作され
与えらえる情報は 許された事のみ
昭和の時点で かなりの進歩があったのだと思う
今現在 情報はそこら中に溢れかえり
知りたくない情報まで目につき
本を開くことも 人に質問することも
キーボードを叩くことすら無く
コンピューターに声を掛ければ
全ての 事実とされる情報を答えてくれる
貴重だろうが 真実であろうが
嘘であろうが 全ての世の中に溢れている情報を
いつからか
人々は 情報を追い求め 調べ 学ぶことから
与えられた情報を精査し 可能性の確立が
0なのか はたまた1なのか10なのか
考えさせられる事が 情報を知る事の意味となる
私が子供だった頃
宇宙とは 果てしなく遠い場所だった
今では 手の届くお金を積めば いける場所
宇宙に関する本を 読み漁り
時には人に問い 想像をし
自らの 思考を 良くも悪くも確立してきた
知らないから 想像し
わからないから 考え
興味を持ったのは その時代だったから
今は 情報はそこいらじゅうに錯乱し
世界中の情報を集約し 導きだすことも出来る
だとしたら 必要なのは
その情報を精査し
自らの 意思 知恵を絞る事
誰かの意思で 思いを巡るのではなく
自らの思考で 答えを導き出し
自らの考えで 行動をして行く事
自らの言葉を発して行く事
世界中の人の生き方や行動 理念や遊び
恰好や意思 思いや表現
小さくも強大な演算が出来る機械で
可能な限り許されることの中で
知り得ない情報など何も無くなった今
真似をするのは簡単
遠い存在を近くに感じるのも容易
皆が同じ物を手にしているリスク
皆が同じことを見ている脅威
皆が
だからこそ
自ら
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